2010年08月16日
戦争の跡
8月15日終戦記念日になると、
毎年戦争の頃の記事がメディアに載りますね。
私が昔住んでいた小笠原も、戦争の凄い地域だったようで、アメリカ領土から日本領土に返還されたのが昭和45年だったと記憶しています。
古くから住まれている方は、アメリカ人と日本人が結婚したりしているので、性もアメリカ性で日本名とか、ちょっと変わった名前の方が沢山いました。
一番気の毒に思ったのは、血が混じっているので、目がチンバで、片方がブルー、片方が黒い瞳の人がいて、とってもいい方で、ルックスは良かったのですが、そのようなエラーになる場合もあるんだと思い、運なのかなぁと思いました。
小笠原にいた時は、山に探検によく行きました。グアバや、アナナ、ブンタンや、レモングラスというハーブ、など、無数に自然の食べ物が自生していて、お猿のようにとりました。
雨の日には、グリーンぺぺという光るグリーンの綺麗なきのこが見れました。
探検に行くと、戦争の跡で、茶色にさびた大砲があったり、ちょっと野原に行くと、「大日本帝国麦酒」と書いてあったと思うのですが、ビールのような空瓶が落ちていたり、もちろん防空壕はいたるところにありました。凄いなぁと思ったのは、下が海というところの断崖絶壁の間に防空壕が無数にあったことでした。
どうやってつくったのだろうと思いました。
たぶん下が海なので、魚を釣ったり、上の山で自生しているものを食べたりして、生活したのでしょうね・・・。
向こうの人って、確かに綺麗なところがあると、降り口がなくても、ロープで降りて行くのが得意なのです。リュックなんかしょっていると、最初はとても怖く感じましたが、慣れれば大丈夫です。
戦争の時の沈潜も何箇所かありました。もぐると
魚のスポットで沈潜のあたりは綺麗なところが多いです。でも、ここで人が死んで逝ったのかと思うと、かな冷や〜っとします。
小笠原にいた頃は、真剣に、無人島を渡り歩く探検家になりたいと思った時期もありました。でも現実は食べていけないことに気がつきました。
それから数年後、ここの電話番になっていました。
今でも特に終戦記念日には、必ず戦争がひどかったという小笠原を思い出します。
長い長いトンネル(防空壕)もありました。台風がひどい時には、そこに避難したこともありました。トンネルの中は、牢屋のようになっていて、もともと
常夏なのですが、そこだけヒンヤリしました。
村の中心部に行くにはそこが近道なのですが、めったに一般の人はそこを通ろうとはしません。幽霊がでそうな感じのところです。
たいした話ではないのですが、8月15日終戦記念日、いつもそんなことを思い出します。
ただ、観光としてはお奨めは今ひとつ。当たり外れがあります。
何故なら、シーズンによっては、詰め込み方式で、相部屋と知らせないで、行ってから相部屋と知らされて、他の宿泊先に変更しようとすると、どこも空いていないという、凄い商売をするところもあります。
(一部の宿泊施設)
美人奥様グループ
ubuubu.com携帯
毎年戦争の頃の記事がメディアに載りますね。私が昔住んでいた小笠原も、戦争の凄い地域だったようで、アメリカ領土から日本領土に返還されたのが昭和45年だったと記憶しています。

古くから住まれている方は、アメリカ人と日本人が結婚したりしているので、性もアメリカ性で日本名とか、ちょっと変わった名前の方が沢山いました。

一番気の毒に思ったのは、血が混じっているので、目がチンバで、片方がブルー、片方が黒い瞳の人がいて、とってもいい方で、ルックスは良かったのですが、そのようなエラーになる場合もあるんだと思い、運なのかなぁと思いました。

小笠原にいた時は、山に探検によく行きました。グアバや、アナナ、ブンタンや、レモングラスというハーブ、など、無数に自然の食べ物が自生していて、お猿のようにとりました。

雨の日には、グリーンぺぺという光るグリーンの綺麗なきのこが見れました。
探検に行くと、戦争の跡で、茶色にさびた大砲があったり、ちょっと野原に行くと、「大日本帝国麦酒」と書いてあったと思うのですが、ビールのような空瓶が落ちていたり、もちろん防空壕はいたるところにありました。凄いなぁと思ったのは、下が海というところの断崖絶壁の間に防空壕が無数にあったことでした。
どうやってつくったのだろうと思いました。

たぶん下が海なので、魚を釣ったり、上の山で自生しているものを食べたりして、生活したのでしょうね・・・。
向こうの人って、確かに綺麗なところがあると、降り口がなくても、ロープで降りて行くのが得意なのです。リュックなんかしょっていると、最初はとても怖く感じましたが、慣れれば大丈夫です。
戦争の時の沈潜も何箇所かありました。もぐると
魚のスポットで沈潜のあたりは綺麗なところが多いです。でも、ここで人が死んで逝ったのかと思うと、かな冷や〜っとします。小笠原にいた頃は、真剣に、無人島を渡り歩く探検家になりたいと思った時期もありました。でも現実は食べていけないことに気がつきました。
それから数年後、ここの電話番になっていました。

今でも特に終戦記念日には、必ず戦争がひどかったという小笠原を思い出します。
長い長いトンネル(防空壕)もありました。台風がひどい時には、そこに避難したこともありました。トンネルの中は、牢屋のようになっていて、もともと
常夏なのですが、そこだけヒンヤリしました。村の中心部に行くにはそこが近道なのですが、めったに一般の人はそこを通ろうとはしません。幽霊がでそうな感じのところです。
たいした話ではないのですが、8月15日終戦記念日、いつもそんなことを思い出します。
ただ、観光としてはお奨めは今ひとつ。当たり外れがあります。
何故なら、シーズンによっては、詰め込み方式で、相部屋と知らせないで、行ってから相部屋と知らされて、他の宿泊先に変更しようとすると、どこも空いていないという、凄い商売をするところもあります。
(一部の宿泊施設)
美人奥様グループ
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